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日本独自の卒業式!その変遷



みなさん、こんにちは。カムラック愛知です。 利用者・記者であった浅井さんのかわりにS.Yがお届けしていきます。 街の中では、卒業式を迎えた学生を多く見かけます!

「うれしいけれど、ちょっとさみしい…」そんな気持ちになる人も多いのではないでしょうか?

日本では、卒業式は独自の行事のひとつです。その歴史や進化に調べました。



卒業式の始まりは軍学校だった!

日本で最初の卒業式は、明治9年(1876)に陸軍戸山学校で行われました。

当時の卒業式は、今のように厳かなものではなく、学校で学んだことを披露する場でした。体操や弁論(スピーチ)を発表するイベントのようなものだったのです。

その後、明治23年(1890)に「教育勅語」の発布され、儀式を通した感情教育の重要性が意識されるようになります。

当時は義務教育が6年間だったため、卒業式は「人生の節目」として大切にされるようになりました。


卒業式に欠かせない「歌」と「演出」

卒業式といえば、やっぱり「歌」ですよね!

明治26年(1893)には「儀式唱歌(ぎしきしょうか)」が決められ、当時はいろいろな歌が歌われました。その中で特に広まったのが『蛍の光』です。

1950年代になると、群馬県の小学校の校長先生・斎藤喜博氏が、感動的な卒業式の演出を考えました。

これが全国に広がり、今のような「呼びかけ」をする卒業式が定着しました。

1970年代には、海援隊(かいえんたい)の『贈る言葉』が大ヒット! これをきっかけに「卒業ソング」というジャンルが生まれ、卒業式で歌う歌がどんどん増えていきました。


コロナ禍を乗り越えて、ふたたび感動の卒業式へ

最近では、芸能人がサプライズで登場する卒業式や、映像を使った演出など、いろいろなスタイルが生まれています。

しかし、新型コロナウイルスの影響で、数年間は卒業式の規模が小さくなったり、歌うことが禁止されたりしました。

でも、今では少しずつ元の形に戻りつつあります。

やっぱり、みんなで歌って、感動できる卒業式が一番ですよね!


まとめ

日本の卒業式は、長い歴史の中で少しずつ変わってきました。

昔は軍学校の発表会のようなものでしたが、今では感動的なセレモニーになりました。

卒業式は、人生の大切な節目。

「ありがとう」の気持ちを伝え、次のステップに進む大事な時間です。

これからも、素敵な卒業式の文化が続いていくといいですね!




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